ほぼ日記のようなもの

仕事に関係あったりなかったり

映画

映画をみてきました。
さらば青春の光」。気になってはいるけど、なんとなくあらすじも知ってるしそのうち観ようリストに入っていた映画です。
高校の時の友人で、この映画にめちゃくちゃ影響を受け、服装からバイクからまるきりモッズそのもの、という人がいました。「最後に、崖からバイクを落とすシーンがいいんだよ」と言っていて、フーン…タイトルといいざっくりしたあらすじといい、自分の青春のシンボルであるバイクを捨てることで若者時代にさよならをするとか…そういう話なんだろうか、とボンヤリと認識していたのです。
主人公は暴走族の一員であろう。もしかしたらこう、リーダーとかかもしんないね。
暴走行為をしてうさを晴らしたりはしてるけど、社会や自分に対する苛立ちとかそういうのがあって、不良なりに強いポリシーやら本人なりの正義やらがあってさ、途中で仲間の死とか、そういうシリアスなことを経たりして、んで最終バイクを崖から捨てて。そんな感じじゃないかいね。不良の気持ちとか、つるんで暴走する気持ちは若い時から理解できんけど、昔のイギリスの若者のファッションとかフーの音楽とか、そういうオシャレなカルチャーが混ざってるわけだし、きっと観てみたら面白いしグッと来るものがあるのじゃないか。
そんなユルい期待を胸に抱いて映画館へ。

主人公のジミーはめちゃ冴えんやつでした。実家暮らしで、仕事も真面目にせず、薬でラリって仲間とパーティーしたり暴走したりするのだけが楽しみ。
女を見る目もなく、イマイチな容姿だけど性格は良さそうで自分を好いてくれてるモンキー(女)には目もくれず、可愛いけど性格悪そうなステフの尻ばっか追いかけています。友達は浅草キッド玉袋筋太郎に何となく似てる(名前忘れた)ガサツな男とその他もろもろ。
決して裕福ではないっぽい実家は居心地悪そうで、でもそれはジミーが爆音のバイクで夜中に帰ってきたり、親をいつも心配させているから。それにイラつくならさっさと実家出て自立すりゃいいのに、ジミーのやつは仕事も真面目にしない。ジミーしっかりせえよ、時代とか社会のせいじゃなくて普通にお前が甘えすぎだろ。
もうこの時点で、70年代の若者とかより私の方がイラついて来ていました。
ジミー、お前、お父さんもお母さんも揃ってる家庭で、どっちもお前のこと心配してんのにお前、バカタレが、薬なんてやめろ、バイクは住宅街に入ったらエンジン切って手で押して家に帰れ。夜中に近所迷惑だから。
ジミーは気に食わないことがあると人ん家の花壇もバイクでグチャグチャに荒らします。まじで最低。ジミーのそういう、弱いものに当たるところまじで良くないと思うよ。これ、別に時代や社会の鬱屈が〜とかじゃなくてコイツの性格が悪いだけじゃないの?
ジミーはバイクをなおすのを手伝ってくれた幼なじみも平気で見捨てます。あ〜もう本当にジミーが嫌いになってきた。“イキリの陰キャ”としか表現出来ない。
ブライトンでの乱闘、暴動の時は(渋谷のハロウィンの若者じゃんか)と思いました。街までグチャグチャにして…ロッカーズ頑張れ、モッズを根絶やしにしてくれ…!どっちもどっちだけど…!
色々あって、後半でかなり追い詰められてきたジミーのバイクが事故にあってぶっ壊れた瞬間、思わずニッコリ笑顔になってしまいました。ざまみろジミー、絶望してる感じ出してっけど、さっき女に振られた八つ当たりでそのバイクガシガシ足で蹴ってたよね?バチだよバチ。で、この壊れたバイクを崖から落とすのかな?
カリスマのエースがホテルでせっせと労働してるのを目撃してしまって勝手にショックを受けるジミー。まあこれは気持ち分かるかな…。ジミーもなんだかんだまだ子供だし…。自分らの中で1番イケてて最強と思ってた男も、所詮こき使われる側、弱者側だと知って、じゃあ俺なんてもう終わりじゃん、って分かっちゃったんだろうな〜。
だけどここからが理解不能。その、ホテルで一生懸命働いてるエースのバイクを盗んで走り出すジミー。なんで?
そして崖から落としたのはエースのバイク。は〜???お前の落・と・せ・し!!またはお前が落ちろし!!まじでお前なんなの!!絶対時代とか社会とか関係ないから!!バカか!!
怒りで額に血管が浮き上がり、手が震え出したところでエンディング。
なんだかんだジミーにムカつきつつもすごく一生懸命映画をみてしまった。こういう楽しみ方をする映画で合ってんのかな。
ムカつきすぎてみたあとはとてもスッキリしました。なんとなくストレスも解消した気がする。
よい1日でした。

くさくさしている

インターネットでなんでも検索できる時代。とても便利ですね。
検索窓に知りたいことを入力すれば情報がじゃんじゃん景気よく出てくる。もうGoogleなしでは生きられない…(本当は生きられるけど…)。

「なんでも聞いて来る人」は相変わらず聞いてきます。わしゃなんべん注意したらいいんじゃ、と思ってしまう。
先日、夜中の1時。さあそろそろ寝るか、という時にラインが鳴りました。
内容は、「開業届けってどこに出せば良いのですか?」。
いや調べりゃ出てくんじゃん、と思い、「検索したら出てきますよ」とそのまま返信しました。
気持ちが収まらず、「あ、年齢的に検索とか苦手なほうでしたか?」とチクリと刺してしまいました。
ちょっと最近体調が良くなくて、色んなことを調べたり出来ていなくて、岩崎さんに連絡するついでについ聞いてしまいました…となんか言い訳が色々書いてありましたが、全部私に関係ないことです。
はあ、、なんか天草行きたいな。
ゴツゴツした岩をみて、海を見て、途中で車を停めて砂浜に降りて、夜の海に向かって「全部私に関係ないことだよねーーーーー!!?」と叫びたい。
ライン開くかわりにGoogle開いて、メッセージ書くかわりに検索ワード書きゃいいだけすよ。手間は一緒ですよ。あんまり甘えないでください。私よりGoogleの方が賢いんで、まずGoogleに聞いてください。
そう返信してスマホの通知をオフにし、ふて寝しました。
私の悪癖なのかもしれないのですが、こういう時はいつも(女だからってバカにしやがってよォ…)と思ってしまう。
女でしかもおばさんだから、多少の甘えはホラ、あなた子供も産んでるしさァ、母性ってやつがあるでしょ?笑 と、言われているような気がしてしまう。
男って言うのはいつまでも子供だからね、でも女はさァ違うじゃん?永遠に男の甘えを聞いてくれるもんじゃん??と言われているような…。めっちゃ知らんし…。
もちろん全ての男性がそうと思っているわけではないのです。私がそういうタイプを引き寄せやすいだけで、原因は私にもあるのでしょう。
こういう、特殊な経験だけ自分の中に大切に積み重ねて熟成させてしまうと、そのうち極端なミサンドリーになってしまいそうで恐ろしい。
しかし本当に私が「そういうタイプを引き寄せやすい」のが原因なんだろうか。
まわりにこの手の話をすると「あなたっていつもそういう目にあってるよね〜笑 引き寄せちゃうんだね〜笑」とよく言われるので、自分に罪があるように思い込んでいるだけかもしれない。難しいですね。
自分を客観的に見ることが出来るようになりたいと常々思っていますが、その辺こじらせて自分に呪いをかけてるような気もする。
最近は、この「呪い」についてもふと考えてしまいます。
もっと精神的に自由になりたい。やっぱ、滝に打たれたりとか…そういう修行をするしかないのかしら。とりあえず座禅でも組んでみよ…。

日曜

朝から犬に芸を仕込む。
手で丸を作って、その中に犬が鼻を入れる「お手」ならぬ「お鼻」。
そもそも犬に芸を仕込むという行為は好きじゃない。傲慢な気がするし、犬の人生は短いのだから、不必要な芸なんてせずのびのび好きなように暮らして欲しい。
でも、「お鼻」と飼い主から言われてスポッと鼻を入れに来る犬の画像をネットで見てしまい、(かあい〜い。うちの犬にもやって欲しい)と思ってしまい、やすやすとポリシーを捨ててチーズの犬用おやつで芸を仕込んだ。いざ教えてみると、食い意地がはっているお陰かあっという間に芸を覚えたのでびっくりした。

「めっちゃ聞いてくる人」に困っている。
数ヶ月前から困ってる。いや調べろし、と言えればどんなに楽だろう。
そこまで聞かれて一つ一つ答えるのは私が無償でやるラインをこえていますよね?距離感を間違えていませんか、とは言った。わりとはっきり言った方だと思う。相手も、甘えてしまいすみませんでした、と謝ってくれたのだけど。
この、「甘えてしまいすみませんでした」と言うセリフなんだけど、マジで毎年2回くらい全く違う人から言われてる気がしている。それをここ10年くらいは感じている。
あなたが優しいから勘違いしてしまった。もっと甘えていいと思った。みたいなことを、みんな言う。知らんがな。
私が人に優しいのは、その方が私が気持ちいいからで、決して人のためではない。
あるラインをこえたら「それって私がやる必要あります?」と意思表示するんだけど、すると甘えてきた人達はとてもびっくりした顔をする。
なんでもタダでこき使える人間だと認識していたのに!まさかそうじゃなかったとは!ということなんだろうけど、このご時世にそんなうまい話ないって。この人なら自分の甘えをダダ漏らししていいはず、自分にはそれだけの権利があるに違いない、という思い込みがベースにあると思うんだけど、すごい自信だと思う。王様かしら。
今度聞いてきたら「いや調べろし」と言おう。このまま言おう。こんなんだから友達が出来ないんだろうけど。
私は謙虚に生きられるように頑張ろう。

天気がまあまあいいから今から犬を洗ってたくさん家事をする。子供が帰ってきたら「お鼻」を見せてあげよ。

新しい子供

3人子供がいます。
次男が産まれたとき、ついさっきまで可愛い可愛いちびっ子だった長男が急に大人びて見えてギョッとしました。あれ?こんなに大きかった?そっか、もうこの子は赤ちゃんじゃないんだ…と、安心するような寂しいような複雑な気持ちになったものです。
三男が産まれたときもそう。私は、次男の「いつまでも赤ちゃんぽい感じ」を異常に愛し執着していたので、三男の出産が迫ると(もう、この子が赤ちゃんに見えなくなってしまうんだ、ホルモンのせいで頭のスイッチが勝手に変わってしまって、この可愛さが分からなくなってしまうんだ、もうお別れだ…)という考えに取り憑かれ、何度も発作的に次男を抱きしめてさめざめと泣いていました。今思うとノイローゼですね。
頭のスイッチが変わるのは自然なことで、合理的なことで、家族の中でいちばん弱い新生児を守るための母親の本能なんだから仕方ないです。むしろ産まれた途端オートマチックに変わってくれてありがたいことなのですが、急に自分の価値観が変わるのが、その時はとても嫌だったのです。
長男も次男も大きくなり、母親はATMまたはタクシーとしか思っていない様子で、それぞれ青春を楽しんでいます。三男ももう中二で大きいのですが、いつまでも反抗期も来ず、ずっと楽しくおしゃべりし合えて、毎日頭を撫でさせてくれて、真(シン)・可愛い。家の中で会う度に「おや、ここに可愛い子供がいるぞい…」と言いながら顔を覗き込みに行く、という茶番をしても嫌がらない優しさ。
なんでこんなに三男可愛いんだろう。可愛すぎるよなァ。世界のバランスとか、こう、狂っちゃわないかな、大丈夫…?と、毎日毎日思っているのです。
昨日は友達と映画に行く、と言って、彼なりのオシャレをしていそいそと支度をしていました。
私のオールスターを「コレ、気に入ったから履いてくね」とニッコリ。小柄な三男と、私の足のサイズはほぼ同じなので、私のお気に入りのスニーカー類はどんどん彼のものになって行ってしまいます。でも可愛いから許しちゃう!
いじめっ子グループに、「お前も俺たちの派閥に入れ」と脅され、「俺はそういうのは嫌だ」とはっきり言って上靴隠されても普通に靴下で過ごしていたところ、ヒステリックな教師にどれだけ怒られても平然と忘れ物するところ、笑うとおでんくんに似てるところ、「厨二病の真似して」と言うと「くっ…!」と言って左手が疼くフリをしてくれるところ、何も言わなくても重い荷物をサッと持ってくれるところ、ニコニコしてるけどどこか薄情で掴みにくい性格なところ。三男の素敵エピソードを語り出すと止まりません。私は三男の大ファンなのです。
しかし、どうやら新しい子供がやってくるようなのです。私が産むわけではないんだけど、孫的なアレで…。
孫は実の子より可愛いっていうし、ああ…。自分が産むわけではないし、毎日一緒にいるわけじゃないし、多分大丈夫とは思うのですが、また、アレがやってくるのでしょうか。
新生児と三男を見比べて、(アレ?真・可愛いと思ってたけど…普通にもう大きい男子だな…)とか。
嫌だ。そんなこと思いたくない。
まだまだ「おや?ここに可愛い子供がいるぞい」と、“森で子供を見つけた木こりのおじいさんのフリ”を毎日したい。頭をクルクル撫でたい。我にかえりたくない。
「息子なんて、デカくて汚くて生意気で邪魔、でも三男はこの世に舞い降りた天使でありフェアリー」と、あと1年はそんな感覚で、ノリで、フィーリングで生きたい。
だけど新生児の可愛さは破壊的ですからね。しかも孫となると、もう、この世(私の脳みそ)の終わりかもしれん。
とても楽しみではあるのだけど、なるべく脳にダメージを受けないように、新しい子供とは良い距離感で接していきたいと思います。

一発芸

中学生の三男、職業体験が終わりました。
長男はドーナツ店、次男はラーメン店で、2人とも飲食店業務だったけど、三男は老人ホームでの介護職を体験させてもらったようです。
1日目、2日目は何事もなく終わったのですが、「最終日…休みたい」と、三男。なぜと聞くと、ホームの皆さんの前で、体験の子供たちが一人ひとりステージに立って「一発芸」を披露しないといけない。それが恥ずかしいので拒否したいけど、そんな権利はないので、ならば仮病を使ってでも休みたいとのこと。
え、そのくらいやればいいじゃん!子供がやることなんて大したことしなくていいんだって!
とか、
あんたがズルして休んでも他の子達は同じように恥ずかしくても我慢して芸をするんだよ、1人だけそこから逃げるのは良くないよ!
とか言って説得し、簡単に出来る手品などを一緒に調べて練習しようと誘っても浮かない顔の三男。
簡単とか、失敗してもいいとかは分かってるんだけど、なんでそもそもそんな事しないといけないのかわからない…と言います。
まぁそう言われりゃ確かにそうだよな。なんで思春期の子供をわざわざ目の前に立たせて「さ、芸して皆さんを楽しませて」なんて無茶ぶりするんだろ。
場所が老人ホームで、「ご老人の皆さんを楽しませる」という突っ込みにくいフィルターがかかってるから「…そりゃ、やんなきゃ仕方ないでしょ…」となってしまうのですが、良く考えれば、みんなの前で一発芸をする、という文化は私だって嫌いです。
お酒に酔った人達が、後輩や部下に「なんか芸しろよ!」とか言ってたりとか。嫌〜い。早めに滅べばいい文化だと思っています。
昔、偉そうなおっさんが若者を1列に並べて、一人一人に一発芸をさせる、という場面を見たことがあるのですが。中でも本当に真面目そうな青年が、頭を深々と下げて「すみません、自分はどうしても出来ません」「芸がない人間で申し訳ありません」と謝ったのです。声は大きく、しっかりとした話し方でしたが、よく見ると彼の手は震えていました。
一瞬、その場にいた人たちがみんなポカンとして、しばらくしてから「ま…まぁまぁ座りなよ」みたいなぎこちない空気になり、そこで一発芸大会は中断してしまいました。
私はその青年に対して、勇気あるよなァ…と感じました。本当は謝る必要なんてないだろうに。
超そもそもなんだけど、自分より立場が下のモンに芸をやらせて楽しむってなんなんだろう。王様?
そんなことを考え出すと、(…まぁ、休ませていいか…)という結論に達しました。
生きていれば「一発芸しろよ」みたいな無茶ぶりは何度でもあると思うし、かかなきゃいけない恥なら今かいておいた方がいい、逃げるの良くない、単なる甘やかしだ!という自分もいるのですが…。そんないにしえの価値観、さっさとなくなった方がいいじゃんね、と思う気持ちの方が勝ってしまいました。
いい、いい、休みな。他の子達には悪いけど、よく考えたらお母さんだって一発芸なんてしたこと無かったわ、と三男に言うと、パァァァ…と一気に表情が明るくなりました。
今回のことはさすがに甘やかしかもなぁ…と、いまだ心の中に迷いはあるのですが。出来なきゃ出来ないで、「まわりと同じことが出来ない」とはっきりと自分で言える大人に育ってくれることを期待して。今回はズルをして休む代わりに、その辺について、三男ときちんと話し合おうと思います。

ライブに行ってきました

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三男とライブに行ってきました。
やっぱりCreepy Nutsのライブは楽しい。
私はいつものように、ピョンピョン跳ねてウワーッと大声を出して盛り上がっていたのですが、チラチラ三男の方を見ると割と固まっている。
はじめて観る本物のライブにびっくりし過ぎて楽しめていないのかな?と思って心配になりました。
ライブが終わり、どうだった?と聞いてみると、「めっちゃくちゃ楽しかった…!本物おった…音でかかった…ライブすげえ…!」と、三男。ただただ静かに興奮し、感動していたようです。
ライブの並び方、ドリンクチケットの買い方、色々と覚えたし、次からは友達と行ける、と。
グッズやCDもつい奮発して色々買い与えてしまい、三男はホクホク顔です。
もちろん私もとても楽しかったです。いい思い出が出来ました。幸せな1日でした。

パートナー

「もう恋人は作らないの?」とか、「もう1回くらい結婚しないの?」とか、よく聞かれます。
若い女性に「え〜もったいない、合コン連れて行ってあげますよ!」と誘ってもらったりもするのですが、合コンは1度も行ったことがないし、「私、合コンって行ったことない」「えっ?!そんな人いるんだ!!」と言う一連のやり取りを一生したいので行かないままでいようと思っています。
そういう話になると面倒なんで、そろそろジョニー・デップがプロポーズしに来る頃だからさ、彼がウィノナ・ライダーと別れた頃から待ってるんだけど、お互い若かったからね、なんか私たちって遠回りしちゃったけど、そろそろ日本語もマスターしただろうから。と一気に言うようにしています。「一気に」がポイントです。
(あっ…そういう人か…)または(冗談なんだろうけど痛いな…)という空気になりますが、それでいいのです。
付き合いが長い友人になるとこの手は使えないので、もう男の面倒なら毎日散々みてるからさー(息子)、今更増えても困るもん、と言っています。
なんか、びっくりするほど男の人に興味がなくなっちゃったんですよね。だからと言って女性が恋愛対象とかでもないけど。もう、脳みその「恋愛」「ときめき」「どきどき」の部分が死んでるんだと思う。
なぜ、私が今1人だからって「パートナー作らないの?」の話になるのかも不思議です。老いも若きも男も女も、ほとんどの人が、少し話すと「恋人は?」「再婚は?」と聞いてきて、しまいにゃ「もしかして、体だけの人とかいたりするの?」。だる〜い。いねぇよ。
まだまだこれからよ、強がらないで男の人に甘えたらいいのよ、とかね。強がってるように見えるなら、それは私が未熟なせいなのでしょう。
だけど私も、きっと今までこういう価値観の押しつけを散々人にしてきてるんだろうしなぁ、巡り巡って自分に返って来てんだな…と反省したりもします。
付き合っている男性との再婚を悩んでいる友達がいます。
数年間パートナーとして一緒にいたけど、籍を入れて夫婦になるべきか、と悩んでいるようで、よく相談をされます。
結婚に失敗しかしてない私に相談するんじゃなくて、成功した人に聞いた方がいいよ、と言うのですが。この年齢になると、もうしくじる訳にはいかない…!という焦りもあるのかな。
相談、というか背中を押して欲しいだけとは分かっているのですが、友達だからこそ滅多なことは言えないです。なので最終「わからん、そういうのは自分で決断するしかないよ」と言って終わるのですが。本当は、1人も楽しいよ、と言いたいけど、それこそ価値観の押しつけですもんね。
恋人や夫がいない状態ってほとんど三十年ぶりくらいです。1人になると自分の輪郭がはっきりして、これは好き、これは嫌い、とすぐに決断することができるのだなぁ、と実感します。色恋沙汰とは無縁だった子供の頃に戻ったみたいで、脳みそが軽くて気分が良いです。
まだ子供が巣立っていないから、まだ飼っている動物たちが元気だから、親が生きているから、ギリ体力もあるから、という条件が揃っている環境だからなのかも知れません。
こんな調子だと、そのうち本当に孤独な人になると思うのですが、「本当の孤独」を感じてみたい気もするし、それに備えて少しずつ準備をしていきたいとも思います。
結婚からも、濃い人間関係からも逃げてフラフラ生きて、挙句一人で生きる自信がなくなって、「そういう人たちが身を寄せあって生きるコミューン」みたいなのに所属するのもすごく嫌です。
まあ、いちいち真剣に考えなくとも、そのうち忘れた頃にジョニー・デップがプロポーズしてくるとは思いますが…。